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確認用?

 少女につけた名の由来を語る母の姿は余りにも惨めで、彼女はそれが大嫌いだった。
 歳はまだ二十を半ばほど過ぎただけなのに、度重なる心労と、その見に宿した負の感情の所為で、母はそれよか十歳ほど老けて見えた。
 少女が記憶する原風景は、竈の篝火に照らされた室内から始まる。ぱちぱちと炭が爆ぜる中、決して大きくはない声量で、されど余りにも力強い口調で母は語った。
 
 いいかい、私がまだお前の御父様と華国の武京で暮らしていたときの話だ。
 つまりお前が生まれる前。お前をこの腹に宿していた頃。
 私は武京で官吏をしていた御父様と夫婦となった。御父様は華国を治める蝶家の一族の出で、学も才もある素晴らしいお方だった。
 何よりその身が美しい。
 私も豪商の生まれで身なりには自信を持っていた。けれどあの人だけには適わなかった。
 あの人は玉の肌を持っていた。白く、細やかで張りのある肌だった。
 顔立ちも素晴らしく整っていて、一つの彫刻のように堀が深い。中でもあの緋色の瞳には心奪われた。
 宮廷の催しで、一度顔合わせしたことがある。
 あの人は幸いにもそれだけで私を愛してくださった。これがどれほどの幸せかお前にはわかるまい。
 とにもかくにも、あの人と契りを交わした私は幸せだった。女の悦びを噛みしめ、人としての喜びを感じていた。
 しかし、しかしだ。
 まるで夢物語のような日々は、本当に夢物語のように終わってしまった。
 それこそ眠りから覚めて、夢が泡沫と消えるように。
 ……あの人は蝶家の政の争いに敗れた。
 私にとってはあの人が政争に敗れようが、身分を堕とされようが共に生きられるならばそれでよかった。
 だが宮中に蔓延る有象無象がそれを許さない。
 有象無象の卑奴らはあの人の復讐を恐れた。曲がりなりにも国を治める蝶家の人間であるあの人に恐怖していたのだ。
 あれはお前を腹に宿して七の月が経った夏の日だ。
 夏の日だというのに、その日は夜風がとても冷たく身に染みた。体中に悪寒が蔓延り震えが止まらなかった。
 宮中に出向いたあの人の帰りをひたすら毛布の中で待ちわびていたよ。
 けれどあの人はいつまで経っても帰ってこなかった。
 いや、帰ってくるには帰ってきたさ。竜の刻が過ぎ、月もだいぶんと傾いていた頃合いだ。
 そう、還ってきたのさ。
 従者に運ばれてきたあの人は最早もの言わぬ骸だった。城壁から落ちたからか、あの人の美しい相貌は醜く潰れていた。 
 四肢もおかしくねじ曲がり、飛び出した緋色の瞳を確認するまであの人だとはわからなかった。
 ……あの人の死を見たとき、私は全てを悟った。
 あの人は復讐を恐れた他の官吏達に謀殺された。あの人が持っていた素晴らしいものを全て奪い取る形で。
 もちろん全ての中には私もお前も含まれていた。
 だから荷もそこそこに私はたった一人の従者をつれて屋敷を抜け出した。
 涙を呑み、この憎しみを忘れるまいと登りかけた日に向かって誓いながら。
 上手く逃げ出した私は追っ手に追われることもなく、無事この地へ逃げ果せた。金は持っていたし、従者は武に優れていたから定住することに困ることもなかった。
 そしてお前が生まれた。
 あの人が持っていた緋色の瞳を受け継いで生まれた。
 いいか、それはお前があの人の血を分けた証拠だ。お前があの人の子であるという何よりの証拠だ。
 だから私はお前に名を授けた。蝶家に怨念という意味を込めて。
 あの人の無念をお前が晴らせば、あの人は報われる。お前が蝶家の人間に復讐すれば何よりの供養になるのだ。
 
 何度も何度も聞かされた言葉は呪いのように少女の心に刻みつけられていた。
 恨み辛みを吐き捨てる母の顔はさながら鬼のようで、少女は不気味だと思った。
 しかし母を鬼と恐れることはなかった。何故なら母からいつも決まって聞かされる文言がこの後に続くからである。

 蝶家は、いや、あの人は鬼から袂を分かった一族の末裔だ。即ちお前の中に流れるあの人の血は鬼の血でもある。
 鬼は千里を支配し、万民を殺す。
 お前はその力をあの人を殺した蝶家に奮うのだ。鬼の力で蝶家を根絶やしにするのだ。
 これが母の、そう、お前の御父様の願いなのだ。
 ――――よ、鬼になれ。

 自ら鬼だと聞かされた少女は果たして何を思うのか。
 それは少女自身全く理解していなかった。
 それでもその事実が十年後、運命となって少女に牙を剥いたのは決して無関係な話ではない。
 
 少女は復讐を背負って生きる。
 彼女は微塵たりとも母を愛してはいなかったが、腹を痛めて生んでくれた親を無碍に扱おうとは思わなかった。
 例え生んで欲しいと頼んだ訳ではなくとも、一度生まれたからには避けられぬ道。
 ならばせめて可愛そうな母のため、父のため、義理くらいは果たそう。
 そう彼女は原風景の中の、篝火の前で決意していた。
 

 腹は減っては戦が出来ぬ、と誰かが言った。
 だが幸村は思う。腹が減れば戦どころか現世を生きることすらまかならないと。
(何か、食べないと)
 灰色の渓谷から見上げた空は突き抜けるように青く、大の字に倒れ伏す幸村を照らしている。
 鳶が鳴き、淡いちぎれ雲が彩る空だ。
 思い返せば最後に飯を喰らったのはいつのことだったか。親切な農民の畑仕事を二晩ほど手伝って受け取った握り飯はとうの昔に尽きている。
 それからは森に生えている野草と、時折見つける野兎で飢えを凌いできた。本当に何もないときは木の根を掘り返して甲虫の幼虫も食べてみた。
 ……蜜柑のようなぷっつりとした食感からは考えられないような苦さの所為で、全て吐き戻したが。
 ともかく、幸村は飢えていた。
 飯さえくれれば、殺しだろうと盗みだろうと、頼まれたならばやり遂げる気概もある。ただし頼んでくる相手がいない。
 そこまでする覚悟があるのならば、旅人でも襲って身包みを剥げば良いのだが、これも相手がいないし、何より幸村の倫理観が嫌がっていた。
 己でも随分と屈折した道理だと知っていたが、そんなことは今どうでもよかった。
 ただ何か食べたい。
 天上を優雅に飛び回る鳶を瞳の動きだけで追いながら、幸村は果てのない思考を彷徨っていた。
 
 そんな幸村に転機が訪れたのは、鳶がとっくに飛び去りちぎれ雲に朱が混じり始めた夕暮れ時だった。
 地面に相変わらず倒れ伏していた彼はかすかな振動を全身で感じていた。地震でも地滑りでもましてや山の爆発でもない、常人ならば決して気がつかぬであろう小さな揺れ。
 幸村はそれを複数人の足音だと判断した。
 真っ直ぐこちらに歩んでくる足音から十数人ほどの一団だ。さらに何か大きな荷車を馬に引かせていた。
 夜盗のや山賊の類いならば面倒なことになると幸村は眉をしかめたが、女子供と思われる軽い足音が二つほど混じっているためその考えは霧散した。
 もしも商人や旅の一座ならば飯を恵んで貰おうと画策したのである。
 果たしてその読みは正しかった。
「おや、これはこれは年端もいかぬ童が倒れ込んでいるではないか。このような道の往来で寝ていては馬に踏まれて潰れてしまうぞ」
 一団の先頭を歩いていたのは禿げたオヤジだった。
 人懐っこい顔立ちに細身の体。藍色の着流しを身につけた風貌は如何にも遊び人を思わせる者だったが、その身から漂う気巧が彼の正体をぼかしている。
 ついでにあまり似合っていない顎髭が胡散臭かった。
 幸村は大の字に倒れ伏したままオヤジに語り掛ける。
「腹が減って動けない。何でも良いから少しだけ飯を分けてくれないか」
 単刀直入に、回りくどいことを嫌う幸村らしい言葉だった。一見無礼にも取られかねないその願いは意外にもオヤジに受けた。
 オヤジは目を弧の形に細めて、歯を見せて笑う。
「えーえ。飯くらいなら食べさせてやるぞ。童よ。だがここでのんびりするには、儂らの行軍に余裕がない。あと半刻ほど歩いたら野営にはいるで、それまでついてこい」
 差し伸べられた手は柳の木のように細く頼りなかったが、握り替えした幸村の手を掴むその力は何処か力強かった。

 華国は蝶家が治める第十七代目の王朝であるとオヤジは幸村に語った。
 ちなみにオヤジは九竜と名乗ったが、幸村にとってはそんなことどうでもよく、オヤジはオヤジのままだった。
 何でも彼らは一芸に秀でた者の集まりで、旅の一座を形成しているらしかった。
 此度、華国の皇帝に新たな蝶家の人間がついたことから都の武京で祭りが開かれるという。その演目に参加するべく彼らは北の長城砦からはるばるここまでやってきたのだそうだ。
 その途中の街道で大の字に寝ている幸村を見つけたらしい。
 彼ら一座には鼻に長ける銀狼族の娘がいて、彼女が幸村の匂いを察知したそうだ。
 当初は夜盗かもしれないと彼らは揉めたが、相手が一人であること。幸村から血の臭いがしなかったことで行き倒れだと判断したという。
 幸村はその話を聞いて、内心まだ顔すら合わせていない銀狼族の娘に感謝した。
「ところでお前さんは何処へ向かうつもりだったのだ?」
 オヤジの隣を歩く、つまりは一座の先頭を歩いていた幸村は「んー」と首を傾げた。
 それはこのような理由からだった。
「いや、何処かしこと場所を決めていたわけではない。ただ人を探していて、その道すがらだった。だが手がかりも何もないから当てもなく華国を彷徨っていた」
 まあ華国にいることだけはわかっているのだがな、と幸村は付け加える。
 それを見てオヤジは笑った。
 なんと適当で、度胸のある奴だ、と。
「だがお前さん、この国は街道を少し外れれば当たり前のように夜盗が蠢いている。その中での一人旅、危険ではないのか」
 口調で笑っていても、目が笑っていないことに幸村は気がつく。
 当たり前だ。
 何処の国でも旅の一座というものは盗賊関連の輩にカモにされやすい集団である。そのためオヤジが盗賊達の危険性を知らないわけがない。
 一人納得して見せた幸村はオヤジとは違い口調も瞳も笑った。
「大丈夫だ。俺は強い。盗賊如きに遅れを取ることなどありえない」
 そう断言する幸村にオヤジは目を見開き、しかしすぐさま感心したように顎髭を撫でる。
「おもしろい。ならその盗賊の頭が鬼だったらお前さんはどうするのだ」
 
(ふ、む……)
 自身の言葉に、一瞬だけ幸村の表情が強ばったのを見て九竜はもう一度顎髭を撫でた。
(恐れではない、どちらかというと興奮か)
 一座の頭目として様々な人間を見てきた彼は幸村の変化をそう判断した。そして幸村が探す人というのが、鬼に関連した人物であるということも。
 彼の思考は続く。
(しかし何故この童は鬼に反応する?)
 元来鬼とは寝物語や絵巻の中で出てくる人が編み出した幻想の賜だ。
 町中に出れば十人中十人がそう断言する。
 ならば幸村も九竜の台詞を笑い飛ばさねば筋が通らない。だが彼は鬼という単語に明確に反応した。
 これではまるで彼自身が鬼を信じているかのような……。
 いや、鬼を知っているかのような、
「師父、師父」
 思考を強制的に中断させたのは一座の団員の声だった。正確に言えば張苑という団員の声だった。少しだけ伸びた後ろ髪を緋色の髪紐で縛った張苑は九竜の隣に着くと囁くように言葉を繋いだ。
「目的としていた渓谷の出口に到着しました。野営の準備は如何ほどに?」
 年頃の少年が着こなす臙脂色の着物に身を包んだ張苑は直ぐ足下を指さしていた。
 成る程、道中拾った幸村との話に夢中で忘れていたらしい。
「あー、じゃあ今日は各自野営すること。飯はたんまり炊いていい。さっき拾った童にも喰わしてやってくれ。ここで出会ったのも何かの縁だろうよ。儂らのような一座ものは縁を大切にせねば」
「了解しました」 
 すっ、と身軽い身のこなしで張苑は一座の中に戻っていった。
 炊事雑務が得意な張苑のことであるから、言われた通り飯を炊きに行ったのだろう。
 九竜と張苑のそんなやりとりを黙ってみていた幸村が口を開く。
「今の少年、強いな。隙がない」
「ほう、わかるか」
「もちろん。何より少し気を抜いていたとはいえ、俺が接近に気がつかなかった」
 ぽりぽりと頭を掻く幸村は何処か面白くなさそうであった。どうやら彼は己の強さに大層な自信があるらしい。そこで九竜は取りあえず幸村をその場に座らせ、己もその対面に腰掛けた。
 そして夕闇の中、少し遠くで揺れる炊事の炎を頼りに語りを開く。

 曰くこれから進む街道には鬼が頭領をつとめる盗賊が待ち受けているらしい。
 九竜――――オヤジの話を要約すればそういうことだった。
 鬼とは千里を支配し、万人を殺す化生の王のことである。
 到底人間では太刀打ちできない胆力と気力を持ち、好んで人を喰らう。また欲望にも忠実で腹が減れば肉を囓り、喉が渇けば酒を煽る。そして色欲を感じれば見境なく異性を犯す。
 およそ人が持ちうる業を煮詰めて形取った気性を持つのが鬼なのだ。
 古来より鬼退治は英雄の偉業とされ、鬼退治のために国を傾けてしまった王も少なくないと聞く。
 オヤジはそんな鬼がよりにもよって盗賊共を纏めていると、少々の脅しを込めて幸村に語った。
 そしてもしも飯のことを感謝するのならば、幸村が修める武を持って鬼を排除してくれないか、と。
 幸村の答えは単純明快だ。
「構わない。飯を頂いた恩、深く感謝している。ならば鬼退治など文字通り朝飯前に済ませてしまおう」


 少しの沈黙の後、それを破ったのはオヤジこと九竜だった。
「……まあそう焦らずとも今日は休め。どのみち鬼の頭領はここから三日は南に向かったところにおるでな、明日の朝飯前には何も起こらんよ。ただ、朝飯後には少しだけ体を動かして貰おうか」
「? どういうことだ」
 空になった飯の椀を地面に置き、手には桃酒の入った杯を傾けているオヤジが続ける。
「なに、お前さんの武がどれほどのものか儂らは知らんでな。ウチの猛者と手合わせをして貰う。お前さんにとっては失礼な話かもしれないが、もしもお前さんの武がウチの者に劣るのであれば到底鬼退治など頼み込めん。一晩とはいえ、同じ釜の飯を食った童がわざわざ無駄死にを晒すのはこちらとしても目覚めが悪い」
 随分と失礼な物言いだったがそれに幸村が腹を立てることはなかった。
 何故ならオヤジの言い分に道理が通っているからである。
 さらに幸村には一つの考えがあった。
「ならば先ほどの少年と手合わせがしたい。彼は名を何というのか」
 幸村は「強い」と称した少年のことを忘れていなかった。いや、もしかしたら飯を食っている最中でも少年の事ばかりを考えていたのかもしれない。
 九竜はいつかみたいに、目元を弧の字に細めて笑った。
「奇遇だな。儂もあ奴とお前さんを手合わせさせようと思っていた。奴の名は張苑。チョウエンというのだよ」



 オーガ ~華国双争、鬼気迷舞
  第一章 緋眼、相対
 


 張苑は面白くないと、思った。
 顔には出さなかったが、どこぞの馬の骨とも知れぬ少年に飯を分けてやるのも決して乗り気ではなかったし、野営地まで連れてくることも本当は反対だった。
 どうせなら米を一袋投げつけて見捨ててくれば良かったのだ。
 そんな少年は暢気に毛布にくるまって眠った後、昨晩喰らった以上の飯を食って張苑の前に立った。
「張苑、といったか? 俺は幸村。お前達が東夷と呼ぶ国から来た武士だ。手合わせ願いたい」
 朝っぱらから何を言っているのかと、横っ面を叩いてやりたかった。だが助けを求めようとした師父である九竜は人懐っこい笑みでにやにやとするばかりで、他の団員も咎める者はいなかった。
 どうやら九竜が何かいらんことを目の前の少年――――幸村に吹き込んだらしい。
 張苑は大きく息を一つ吸って、ため息として吐き出した。
 そして幸村を鋭く睨み付けるとこう言い放つ。
「いいだろう。ついてこい」
 己の言葉に喜色を隠そうともしなかった幸村に少しだけ腹が立った。

 野営地から少し離れた広場で張苑と幸村は向かい合う。周囲には暇を持てあました団員達がここぞとばかりに押しかけていた。
 張苑は軽く四肢の健を伸ばしながら幸村の様子を注意深く観察する。
 雑に切り刻まれた頭髪は黒一色で、この国でも珍しくはない。ただ顔立ちは少年といいながら何処か女性らしさを伴った危うい顔立ちをしていた。昨日は暗くて気がつかなかったものの、こうして朝日の陽光の中で光り輝く白い肌は玉を思わせるものだった。
 またか細い体の線が余計に女らしく見えて、もしかしたら性別を誤っているのではないかと張苑を錯覚させる。
 服装は髪と合わせているのか、少し色あせた麻で出来た黒い着物だった。だが華国で作られているものとは少し違う風体で、彼が言う東夷の出身という台詞に信憑性を賦課している。
 張苑の視線はそこまで見定めてふと腰元に吊された二本の得物で止まった。
 華国では到底見ない、細く、反り返った鞘に収められた剣だった。
 朱色の紐で吊された剣の握り手は同じ色の布が菱形に編まれて巻き付けられており、剣と握り手の境には何かが彫り込まれた円盤が備え付けられていた。どうやら幸村の国の剣に使われる鍔のようだ。
 張苑の視線に気がついたのか、幸村は慣れた手つきで二本の剣を両手で抜いた。
 周囲で見守っていた団員達からは「おおっ」と感嘆の声が上がる。
「これはカタナといってだな、俺の国に伝わる殺傷剣だ。銘は長い方が渚、短い方が霞という。その名の通り渚と霞を斬るために打たれた剣だ」
 刀身に刻まれた美しい波紋に張苑は視線を奪われていた。
 幸村は銘の由来を渚と霞を斬るため、と説明していたが張苑はその淡い文様自体がそれらに見えた。
 頭を短く振り、思わず脳裏に踊った雑念を振り払う。
「お前が得物を晒したのならば、ボクも得物を披露しよう。お前の得物のように美しいわけではないが、頼りになる物だ」
 しゃらんと、張苑は腰元に巻いていた布をほどいた。すると布の内側にはびっしりと鋲が縫い付けられていた。
 木材と木材を縫い止める金属の鋲である。
 手の平ほどの長さのそれは朝日を受けて、鈍く光っていた。
「この通りこれらの鋲を投げてボクは戦う。だがただの鋲と侮るなかれ。油断をすれば死ぬぞ」
 布を再び腰元に巻き付けるのと同時、幸村に対して張苑は殺気を飛ばした。だが鈍いのか図太いのかあるいは両方か、幸村は飄々と受け流している。
 幸村に対するイライラが募りだしたとき、ふと様子を見守っていた九竜が声を高く口を開いた。
「それでは行き倒れの童、幸村と我ら一座の小僧張苑の手合わせを始める。勝敗は儂が判断。反則もしくは中止も儂が判断する。では両者尋常に――――」

 二人の頭上で鳶が鳴いた。

「勝負!!」


 ひょう、と風が吹いたのかと思えば張苑の姿は掻き消えていた。
 速い、と幸村は内心舌を巻き、真横から飛来した鋲を両手で持った刀で斬る。
「疾ッ!!」
 張苑の甲高い掛け声と同時、幸村は己の首に巻き付く何かを悟る。見れば張苑の柔軟性に富んだ腕が彼の首を締め上げんとする瞬間の光景だった。
「ふっ!」
 乱れる呼吸を整え、丹田に力を込めた幸村は素早く屈むことによって張苑の拘束から逃れる。彼の頭上では空振りしたことを悟った張苑が空気を蹴ってその場から待避していた。
「気巧か。くそ、この国の達人は皆修めている技だ。面倒なこと極まりない」
 華国の武術は肉体を鍛え上げることはもちろんであるが、それ以上に重視するのは肉体の中に流れる精神とはまた違った力だ。いわば生命力そのものとも言える力は気巧と呼ばれ、華国武術の基本にして至高とされていた。
 幸村はこの国に来てから人々が使う気巧を苦手としていた。
 理由は文字通り『不可能など存在しない』と称される気巧の自由度による。
 気巧を体外に放出し、砲弾として撃ち出す輩がいるかと思えば、剣に纏わせて切れ味を底上げしている者もいた。そして目の前の張苑のように変幻自在の足場として扱う者もいる。
 本来ならば飛来するはずのない真上から殺到する鋲を剣風ではね除ける。
 勢いを削がればらばらと霰のように落下する鋲の中で、幸村は天を見上げた。そこには足場を造りこちらを見下ろしている張苑がいる。
「鳶みたいにあちこち飛び回りやがって……。だが鳶を叩き起こす術は考えている!」
 再び投擲に入ろうとする張苑より先、幸村は腰を低く渚を構えた。霞はいつの間にか鞘に戻されている。
 そして片手で使うには些か長すぎた渚を両手に構え、張苑を見据えた。
「鳶落とし!」
 不可視である刃の風が、張苑が投げた鋲を真っ二つに切り裂きながら天へ駆け上がる。純粋な剣圧で打ち上げられた斬撃は勢いそのままに張苑へ殺到した。
 気巧を使わずに、幸村は己の肉体の力のみで剣風を天に放ったのだ。
 これに驚いたのは張苑である。
 幸村は気巧を使うことが出来ないとタカを括っていた張苑は反応が遅れてしまった。
 かわすことは不可能。
 ならばと、張苑は足場に展開していた気巧をできる限り分厚くして斬撃を受け止めた。衝撃が張苑の体を迸り、思わず吹き飛ばされる。
 斬られることは無かったものの、勢いそのままに地面へ激突した。舞い上がった砂埃が張苑の姿を隠す。
「?」
 決してよくはない予感を抱きながら、幸村は渚を構える。
 そしてその予感は当たっていた。
 轟、と一本の鋲が幸村へ投擲された。砂埃の向こう側から飛んできたそれはただの鋲ではない。気巧を丹念に込められた恐るべき威力を持った鋲であった。
 並の人間ならば刺さった部位が砕け散ってしまいかねない、そんな一撃。
 一瞬で逆転した形勢に、周囲の物陰に避難する形で見守っていた団員達から驚きの声と悲鳴が飛び出た。
「っ!」
 先ほどの張苑と同じようにかわすことは出来ないと踏んだ幸村は渚を振るい、鋲の切っ先へ刃を合わせた。
 鋲から漏れ出す気巧と渚の刀身がぶつかり合い、黄金色の衝撃波が世界を包む。
 だが押されたのは幸村だった。徐々に押さえ込まれた渚の峰が彼の鼻っ面に触れようとする。
 これ以上は持たない、そう誰もが判断したとき、次へと動いたのは今まさに生命の危機に瀕している幸村だった。
「絶!」
 一言文言を紡いだ幸村の様子が変わる。
 押さえ込まれていた刀身が徐々に鋲を押し返した。そして数瞬、時間が制止したかのように彼の動きが止まった後、姿そのものが掻き消える。
 それは手合わせの序盤で張苑が披露して見せたものとは数段次元が違う、文字通りの消失だった。
「なんと!」
 驚嘆したのは他の団員だけではない。審判を務めていた九竜も張苑も同じだった。
 砂埃が晴れた広場に存在したのは、いつの間にか渚の切っ先を喉に突きつけられた張苑と、呼吸一つ乱さずに剣を構える幸村。
 降参の意を示した張苑がおそるおそる聞いた。
「お前、鋲を斬ったのか。気巧を込めた鋲を」
 返答は、是だった。
 
  灰晶渓谷の名がつけられたのは今から二百年ほど前、帥国の治世だったとされている。
 時の剣術家、羅門がこの地を訪れたとき何故か渓谷の道を巨大な灰水晶が塞いでいたのだ。往来していた旅人や商人は嘆き、羅門へこう言った。
「羅門さま、あなた様はこの水晶斬れるやいなや?」
 灰水晶は水晶とは名ばかりの非常に硬い鉱物で、楔を幾ら打ち込んでも割れることはあり得ない。
 ましてや刀剣で斬るなど無謀を通り越して、ある意味で感嘆するべき虚言だった。
 だから商人達も道を往来し商いが出来ない鬱憤を嫌みにして羅門にぶつけていたのだ。
 だが羅門の返答は商人達の期待と失望を裏切るものだった。
「諾」
 短くそう答えた羅門は剣を抜き、静かに瞑想した。瞑想の時間は諸説あるものの、実に三日三晩、静かに灰水晶の巨岩を見つめていたという。
 そしてそれは四日目にさしかかる朝に起きた。
 様子を見守っていた商人達は半日も経てば殆どが消えていたが、それでも一類の望みを託した者たちは羅門と共に三日三晩耐え続けた。
 彼らは後世にこう伝えている。

 四日目の朝、稲妻が鳴った。文字通り雷でも落ちたのかと周囲を見回したが空は晴れており幻であることを教えてくれた。
 だがその正体はすぐにわかった。なんと灰水晶の巨岩が真っ二つにたたき切られた音だったのである。
 羅門さまがいつ刀を振るったのかはわからない。
 しかし気がつけば灰水晶の巨岩は二つに割れ、斬られた面は鏡のように光っていた。


 さらにあろうことか、もともとそれ程広くなかった渓谷の横幅が明らかに広がっていたのだ。
 羅門さまは呟かれた。
 曰く、力加減を誤り谷を少々切り開いてしまったと。

 
 灰水晶を斬った渓谷であるから灰晶渓谷。安易な名付け方だと九竜は思うが、彼の関心は広場に転がった二つの鋲に向けられていた。
 手合わせの興奮冷めやらぬ中、幸村は団員達に歓迎の意を含めて揉みくちゃにされている。対する張苑は実に詰まらなさそうに隅の方で汗を拭っていた。
 九竜は二つの鋲を拾い上げる。
「ふむふむ、しかりしかり」
 実のところ、二つの鋲はただの鋲ではなかった。一つの鋲の中心を鋭利に切断して、二つ存在するかのようにこちらを惑わせているのだ。
 幸村がこちらが瞬きも出来ぬ間に斬った鋲。まだ熱を持ったそれの切断面は鏡のように光り、小さく九竜を映している。
 あの時見た黄金色の輝きは張苑の気巧の色だった。そしてその輝きの密度、明度から相当数の気力が込められていたことを知ることが出来る。
 気巧を込められ、巨岩を砕くぐらいには強度を保っていた鋲がこうも簡単に斬られるとは。
 九竜は表情には出さないものの、内心を感嘆で埋め尽くしていた。
「師父、師父。申し訳ありません。ボクが未熟でした」
 いつの間にか傍らに来ていた張苑が頭を垂れていた。新参というか、昨日の今日で拾った馬の骨に敗れたのが悔しいのだろう。こちらには見せまいとしているが、恐らく両の瞳は濡れている。
 九竜はそんな張苑を哀れに思って言葉をかけた。
「いや、確かにお前さんがまだまだ未熟であることは事実だ。だが最後の一撃、鋲に込められた気巧は素晴らしかった。これからも励め」
 嘘ではなく全くの本心。
 今回の手合わせ、張苑に不手際は一つも存在しなかった。いや、唯一上げるとしたら予想以上に強力な武を修めている幸村を見誤ったことだろうか。
 だがそれは九竜も同じことなので叱ることはしない。何より張苑自身がそのことを痛感しているだろう。
 なれば賛辞こそ贈れ、罵倒を告げる意味はさらさらなかった。
 しかし張苑の表情は晴れることがない。
「どうした」
 その歯切れの悪い態度の意味を九竜は問う。張苑は数回視線を彷徨わせた後、恐る恐るといった調子で口を開いた。
 まるで己の中の疑問を、口にすることで確固たる現実へ変換するように。
「……あの少年、まさに刹那の瞬間ですが、ボクの鋲を斬ったとき、瞳が緋色に光っていたように思います」
 今度こそ、九竜は言葉を失った。


 オーガ ~華国双争、鬼気迷舞
  第一章 緋眼、相対
 
 
 千里を支配し万人を殺す。
 およそ鬼を表す的確な文言ではあるが、鬼の姿について触れられた話は決して多くはない。
 ただ数少ない伝承や記述をつなぎ合わせれば以下のような特徴が浮かび上がってくる。
 一つ、鬼は化生の王なり。姿は人に酷似し、全てが全て美しい。
 二つ、鬼は緋色の瞳を持つ。赤みが増せば増すほど鬼としての力が強い。
 三つ、鬼は人に化けることが出来る。つまり緋色の瞳を隠せる。しかし強大な鬼ほどそれが難しくなる。
 
 九竜が張苑から聞いた言葉、幸村の瞳が緋色に光ったというもの。
 残念ながら退魔師でも英雄でもない九竜は幸村が鬼かどうか見分ける術がない。しかし今こうして一座の面々と笑いあっている幸村を見れば、彼の者が鬼であるという仮説は実に説得力がなかった。
「張苑、お前様の見たものを幻だと笑い飛ばすことはせん。だが、まだ答えを出すには急ぎすぎる。どのみち三日はこちらに付き合わせるのだ。それまでに答えを出せばよかろう」
 何かを言い足そうな張苑を制すように九竜は続けた。
 張苑はそれでもしばらくの間、九竜を見つめていたが、やがて諦めでもついたのか腰から曲げる綺麗な礼をひとつして広場から去っていた。
 大方敗北の悔しさを紛らわせるために鋲の手入れにでも向かったのだろう。
 九竜は疲れたように息を一つ吐き出すと、着流しの帯に挟んでおいた煙管を取り出し一服を始めた。
「まあ、蛇が出るか鬼が出るか、天のみぞ知る、だな」
 視線を幸村から外し、空を見上げれば、いつものように鳶が旋回を繰り返していた。

 自画自賛が嫌いな張苑だったが、今朝方幸村に投げた鋲に込めた気力はそう邪険にするものではないと、飯の席で考えていた。
 あれから一団は荷を纏めて出発し、渓谷を抜けて木立が並んだ森の道を進んでいた。昼間から薄暗い森は時折鳥が鳴き、夜となった今でも遠くの方で山犬の遠吠えが聞こえた。
 日が暮れて半刻が過ぎたとき、ようやっと九竜は一団に停止を命じた。
 相変わらず九竜の隣を歩いていた幸村が腹の虫を訴えたのと、荷車を引く馬に疲労の色が見え始めたのが大きな原因だ。
 予定よりも少し遅れているのか、九竜の表情は時折考えるように硬くなっていた。だが彼のことだ。
 どこかで上手いこと帳尻を合わせて武京には何事もなく到着してみせるのだろう。
 飯当番から渡された粥をかき込みながら、九竜は腰元から鋲を一本抜き出してしげしげと眺める。それはあの後九竜から受け取った、真っ二つにされた鋲の片割れだ。
 見事、
 美しい切断面を披露する鋲を見る度、そう口が唱えそうになるのを張苑は必死に堪えていた。
 元来負けず嫌いな性格と、新参の幸村に完敗した情けなさもあって張苑は意固地になっている。
 しかし幸村の武の実力を評価できないほど、愚かな間抜けでは決してなかった。
 それは己の武に対する誇りの表れでもある。たしかに幸村に完敗はしたが、こちらも全力を尽くして戦った。ならばここで幸村の武を讃えたならば、自身の武が貶められることもない。
 だがそれはそれ、これはこれ、である。
 幸村のことがどうしても好きになれない張苑からしてみれば、理屈で理解していても素直に幸村を褒め称えるのは癪に障るのである。
 あの飄々とした態度が気にくわないし、堂々と飯を喰らって、早早と眠りにつく図々しさも許せない。
 何より許せなかったのは幸村の容姿である。
 男らしさの欠片もない、一度綺麗に着飾ってしまえば女としか思えないような美貌、それがどうしても受け入れられないのだ。
 別に嫉妬しているわけではない。
 だが張苑にはそれをどうしても受け入れられない理由がある。もしも幸村を認めてしまえば、張苑自身が己を許せなくなるのだ。
 ――――そこまで思考の海へ埋没していたとき、焚き火に照らされた椀に影が差した。
「やほー。ご飯美味しい? 張ちゃん」
 碧色の瞳、灰色の髪、それと同色の大きな狼の耳を持つ少女がそこにいた。華国の北方に広く暮らしている銀狼族の少女、火雅である。
「なんか難しそうな顔してるね。ひょっとして幸村君のこと?」
 見透かしたような笑みに張苑は馬鹿を言うな、とうろたえた。
 それを見た火雅は面白い玩具を見つけたといわんばかりに続ける。
「だってそれだけ悩んだ顔してご飯食べてたらすぐにわかるよ。私だって今朝の手合わせは見てたんだから」
 ころころと笑う火雅の所為で張苑は幸村に対する毒気を抜かれていくような気がした。
 そういえば道中に転がる幸村に一番早く気がついたのも、目の前にいる銀狼族の火雅である。
 彼女の種族はその名の通り、狼から生まれた男の末裔の種族だ。狼のように鼻が利き、狼のように義理堅く、また諦めが悪い習性がある。
 戦闘面では残忍な性格が目立つため、華国の人間は銀狼族のことをあまり快く思っていない。しかしながら張苑や九竜と共に旅する火雅はとても温和な気性の持ち主だった。
 それを知っている張苑は、こうして自分の目の前に現れたのも彼女なりの気遣いなのだろう、と思った。
「まあ、そうだろうな。ボクはあいつが嫌いだ」
 素直に己の心情を張苑は打ち明けた。火雅は張苑の隣に腰掛けて静かに張苑の言葉に耳を傾ける。
「まだ一日しか経っていないけれど、ボクはあいつのこと好きになれそうにない。理由はわかってる。あいつが図太すぎるのも嫌いだけど、何よりあの面が嫌いだ。なんでよりによって、あんな……」
 そこまで言って己の手に火雅の手が重ねられていることに張苑は気がついた。
 優しく握られた手だが、火雅の表情は至って真剣だった。
「駄目だよ、それ以上言っちゃ。まだ幸村君のことを切り捨てるには早すぎるよ。彼はきっと、張ちゃんのことを助けてくれる。張ちゃんの光になってくれる」
「……随分と奴を買っているんだな。それは銀狼族の直感?」
 張苑の台詞に火雅はにこり、と微笑んだ。
「ううん、張ちゃんの友達としての予感」
 適わないな、と張苑は苦笑を漏らした。その横顔は焚き火に照らされて、綺麗な陰影を象っていた。

 ちと話さんか。
 飯を食い終わり、借りた毛布の中でうとうととしていた幸村に掛けられた台詞だった。
 毛布の中から九竜を見上げた幸村は言葉を発することなく頷いて見せた。
「よし、お前さん酒は呑むか? 旨いぞ」
 ちゃぽん、と瓢箪が差し出されるが幸村はかぶりを振った。九竜は一言残念だ、と呟くとそれを傾け始める。
 九竜の喉が規則的に動く度、彼の顔色はだんだんと赤く染まっていった。
 酒気を帯びた息を躊躇いも無く吐き出し、彼は問うた。
「お前さんの国では酒を呑まんのか?」
「いや、俺が嫌いなだけだ」
「そうか。だがそれは人生の八割方を捨てているも同義ぞ。この旨さがわからんとは」
「わからなくてもいいよ」
「む、なら煙草はどうだ?」
「吸ったことがない」
 問答を繰り返しても、色よい答えが帰ってくることはなかった。むしろ幸村の九竜に対する興味がだんだんと薄れていく嫌いすらある。
 これは不味いと思った九竜は苦し紛れに、不自然に明るい声で続けた。
「なら、女を抱いたことは?」
 言ってから、しまったと思った。
 いくら打ち解け始めたとはいえ、昨日の今日に拾った少年に対する問いとしては不適切だからだ。
 だがそんな九竜の危惧とは裏腹に幸村は平然とした顔で続けた。
「あるよ」

 幸村が九つを数えた頃、村に三つ年上の幼馴染みがいた。
 彼の村のしきたりでは十二で成人となる。そのため彼女は夫となるべき男を捜さなければならなかった。
 器量良く、美しかった幼馴染みは村中の男から求婚を受けていた。まだ九つしか数えていなかった幸村は漠然とした憧れは抱いていたものの、特に恋い焦がれるようなことはなかった。
 だがそんな幸村を幼馴染みは夫に欲した。
 村長の親族でもあった幼馴染みの意見は容易く聞き入れられ、幸村は晴れて幼馴染みと夫婦になった。
 そして夫婦となった二人はそう時間も経たないうちに床を共にしたのである。
「……ならばお主、その娘――――妻はどうしているのだ?」
 そこまで話を聞いて、九竜は純粋な疑問を口にした。
 一人で東夷からやって来た幸村の今を見れば当然の疑問だった。
 しかしまたしても九竜は虎穴を突いてしまう結果となる。
 幸村は自身の女性経験を語ったときと同じように間を置かずに答えてみせた。
「ん? 死んだよ。あの人は鬼に殺された」
 からん、と酒が入った瓢箪が揺れる。焚き火に照らされた幸村の影が一瞬だけぶれた。
「ついでに村のみんなも殺された。生き残ったのは俺だけ」
 幸村が腰に下げていた渚と霞を抜く。刀身には空に煌めく月があった。
「この刀はもともと村長が大切にしていた家宝。焼かれた村の瓦礫の中から見つけた。俺が華国に来たのはこっちに逃げた鬼を殺すため。
 言葉を継げない九竜を尻目に幸村は続ける。彼の瞳はいつの間にか細められ、わずかな殺気が籠もっていた。
「俺はこの刀で鬼に復讐する。村のみんなを殺した鬼はもちろんだけれども、この世に蔓延る全ての鬼も。……俺みたいな人間がこれ以上生まれないように」
 淡々と語る幸村だが、その言葉には有無を言わせぬ迫力があった。
 九竜は知る。飄々としている幸村から漂う巨大な芯の正体を。
 摩訶不思議な少年だと評価していた九竜であるが、それを改めることにした。
 幸村は彼が抜いた二振りの刀剣のように刃物のように研ぎ澄まされた少年だった。
 そして若くして人の道を踏み外しているとも理解した。

 
 特に盗み聞きするつもりはなかった。火雅に諭され、せめて朝の慇懃無礼な態度ぐらいは謝罪しようと張苑は幸村を探していた。
 しかし野営地に固まって野宿する一座の集団の中に彼を見つけることは出来なかった。
 火雅に頼って探して貰うことも考えるには考えたが、今更頼みにくいこともあり、辺りを探し回ってみることにした。
 果たして幸村はすぐに見つかった。
 一座の団員達からは少し離れた木立の下で毛布にくるまっていた。既に眠ってしまったのかと一瞬焦りを覚えたが、彼の隣に九竜が腰掛けているのを見て安堵の息を漏らした。
 だが二人は話し込んでいるのか、張苑は声を掛ける丁度良い間を見つけることが出来なかった。
 そして幸村と九竜は張苑に気がつかぬまま次のような話題について語り始めた。

 女を抱いたことはあるのか。

 かあっ、と顔が熱くなるのがわかった。
 決して詳しいわけではないが、九竜が幸村に何を問うたのかぐらいは理解できた。さすがに自分と同じくらいの歳の少年に聞くものではないだろうと、苦言を呈するべきか否やで張苑は悩んだ。
 けれどもその苦悩は意外な形で裏切られることとなる。
 自分と同じような反応を見せると思われた幸村がこう口にしたのだ。
「あるよ」
 ガツン、と頭を鐘で殴られるような錯覚を覚えた。
 まだ二十にも満たない幸村がそのような経験があるとはとても思えなかった。
 それでも幸村が語る身の上は生々しく、張苑の頭を揺さぶった。
 曰く九つである女性と夫婦となっていたこと。
 曰くその女性とは何度か夜を共にしていたこと。
 張苑は率直に穢らわしいと思った。
 もちろん幸村が望んで夫婦になったわけではないことぐらいは話しぶりから察することが出来た。
 だからこそ己がかき抱くこの感情が理不尽であることは百も承知なのだが、張苑はそれを看過することは出来なかった。
 自然と張苑の呼吸が盗み聞きするための呼吸へと切り替わる。相手に伝わることのない、隠遁の呼吸法だ。
 さらに幸村は続ける。それは九竜の「妻はどうしているのか」という問いに対する答え。
「ん? 死んだよ。あの人は鬼に殺された」
 鬼、と幸村が口にした瞬間、張苑は己の身をかき抱いた。
 もちろん張苑は幸村の村を襲った鬼などではない。だが今朝方幸村と刃を交えたからこそ、彼の言葉からにじみ出る殺気が張苑を突き刺したのだ。
 張苑の脳裏には両断された鋲が否応なくこびり付いていた。
「俺はこの刀で鬼に復讐する。村のみんなを殺した鬼はもちろんだけれども、この世に蔓延る全ての鬼も。……俺みたいな人間がこれ以上生まれないように」 
 幸村の宣誓は張苑の耳には届いていなかった。
 ただ自分が知らなかった、知りたくなかった幸村の深淵を除いてしまった気がして、張苑は言いようのない不安に駆られていた。
 
 朝が来てまず始めに思ったことは水を飲もう、だった。
 口の中はからからに乾き、目も綺麗には開いていなかった。近くに小川が流れていることを思い出した張苑は手ぬぐいを肩に掛けながら、一人寝静まる一団から離れる。
 途中、木の根元で毛布にくるまっている幸村を見つけた。
 いや、正確には肩に掛けた毛布がずれ落ちて寒そうに身を捩らせていた。だがそれを直してやる気にはとてもなれない。
 九竜は一座の荷車の近くで瓢箪を抱いて転がっていたため、もうここにはいなかった。
 張苑は足音を立てぬよう幸村の前を通り過ぎ、小川へと繋がる小道を降りていった。
 小川は張苑が想像していたよりも川幅が広く、また深かった。まだ登り切っていない朝日に照らされてきらきらと水面が光っている。
 少し目を凝らせば銀色の背をした川魚が泳いでいた。
 張苑は持ってきた手ぬぐいを川に浸し、それで顔を拭く。
 息を呑むくらいに冷たくなった手ぬぐいのお陰か、意識に漂っていた眠気は払拭された。
 次に乾いた喉を潤そうと顔を水面に近づけて手で水を掬った。その時、水中を泳いでた川魚が一匹もいないことに気がつく。
「?」
 そのことを不思議に思い張苑はもう一度水中に目を凝らした。ゆらゆらと揺れる水面に影が映っている。
 もちろんそれは水を掬おうとしている張苑のものの筈なのだが、中腰の姿勢のまま固まった自身のそれとは別の何かが蠢いていた。
 嫌な汗が背中を伝う。いつも帯が巻いてあるところには武器たり得る鋲が差し込まれている。張苑は無意識のうちに鋲に手を伸ばした。 
 しかし蠢く何かが水中から飛びかかる方が早かった。
「つっ!?」
 何かに首を掴まれ小川に引き倒される。朝の静寂を破るように水しぶきが上がった。溺れそうになる息を必死に繋ぎ止めながら、張苑は襲撃者を水中から見上げた。
 張苑を水中に引き倒し、今まさにのし掛かっている者は伽藍洞の瞳をしていた。
 姿形は中肉中背の男そのもの。しかし顔色に生気はなく、瞳の色は胡乱に濁っている。
 人間とは何処かが違う、化け物としか言いようのない襲撃者の姿に張苑の反撃の手が鈍ってしまった。
 男は口を顎が外れんばかりに開き、その異常発達した犬歯を見せつけた。赤くぬらぬらとした舌が水中で溺れかけている張苑の頬を舐める。
 そのこの世のものとは思えないようなおぞましい感触に、張苑は声にならない悲鳴を上げた。
 しかし張苑にはツキがあった。
 男が開ききった口に生える犬歯を張苑の首筋へ突き立てようとしたその瞬間、男の口内から剣の切っ先が生えたのだ。
 張苑の鼻先で止まった切っ先には見覚えがあった。
 それは昨日の朝、自身に突きつけられた剣の切っ先だ。
「大丈夫か、よっと!」
 剣を男の後頭部に突き立てた幸村はそれを素早く抜き去ると、血飛沫をまき散らす男の頭部を回し蹴りで吹き飛ばした。妙な角度に首を折れ曲がらせた男は小川の対岸で仰向けになって痙攣している。
「何か嫌な臭いがするからやってきてみれば……、とんだ災難だな」
 片手に霞を持った幸村が小川に倒れ込んでいた張苑を助け起こした。久方ぶりに息を吸った張苑は激しくむせ込んだ。
 肺に入りかけていた水を吐き出し張苑は絞り出すように声を上げる。
「なんだあいつは……」
 視線の先には自身を噛み殺そうとしていた男がいる。相変わらず痙攣を続けるそれは張苑に嫌悪感を抱かせるには充分だった。
 幸村は霞についた血を小川に振り払いながら答える。
「鬼の呪いに掛かった人間だ。鬼の中には人の生き血を吸い、人を化け物に変化させる手合いもいる。こいつも鬼に血を吸われた哀れな男だ」
 幸村の説明と同時、男は首を折れ曲がらせたまま起き上がってみせた。
 てっきり死んだと思っていた張苑が一歩後ずさる。
「鬼の呪いで化け物になった人間は死ににくくなり、人間を襲うようになる。こいつのように」
 ふらふらと小川を渡ってくる男へ幸村はもう一度霞を振るった。すると男の首は蹴鞠のように水面に落ちた。首の切断面からは先ほどとは比べものにならない血が吹き上がる。
「頭を胴体と切り離すか、心の臓を完全に貫かないとこいつらは死なないし死ねない」
 頭を切り飛ばされた男の体はそれでも尚、一歩、二歩と幸村に近づいてきたが、彼は草履の裏で胸の辺りを蹴飛ばした。
 さしたる抵抗もみせず小川に沈んだ男はそれ以降ぴくりとも動かなくなった。
 それを確認した幸村は剣を鞘に収めながら口を開いた。
「張苑、すぐにみんなを起こせ。これは不味いことになったぞ」
 いつになく険しい表情をした幸村を見て、張苑は昨日の嫌悪感も忘れて黙って頷いていた。

 華国の治世は乱れている。
 道行く人々、或いは田舎で田畑を耕す農民は口々にそう告げる。
 かく言う九竜も同じような感想を今現在の華国に対して抱いていた。行業のために名のある城塞街に立ち寄っても人々の顔に活気があるとは思わない。
 横暴な税収と官憲の所為で人々の暮らしは困窮し、食うに困る者のなんと多いことか。
 さらに付け加えるならば治安の悪さも人々の日々へ闇を堕としている。
 食い扶持にあぶれた農民は次々に夜逃げし、半分は何処かで野垂れ死に残りの半分は夜盗になって旅人を襲うようになった。
 もちろん中には農民の小さな村を襲撃する夜盗もいる。
 治安の瓦解に怯える人々が安寧な暮らしを送ることが出来るはずもなく、そんな状況の中では作物も満足に育つことが少なくなった。
 こうした悪循環が続いているのが華国の現状である。
 此度も、華やかな皇帝の代替わりの影で血税を絞られている民がいる。明日も見えない生活に甘んじるしかない民がいる。
 義賊でも何でもない九竜は義憤を感じない。
 されども現状を楽観視していられるほど、九竜は冷血を持った人間でもなかった。幸村へ飯を食わせたのも、そういった世の中を嫌というほど知っていたからこそだった。
 人並みの道徳心を見に宿す九竜は華国の今に心を痛めている。
 だからこうして目の前に広がる惨状は悲しかった。
 
 幸村の提言で、九竜率いる一座は予定よりも少しだけ早く街道の途中にある村へたどり着いていた。
 その日の内の、昼過ぎのことである。
 休息なしの強行軍のせいもあって、皆疲労を隠すことが出来ていない。
 ただ状況を理解している幸村と九竜、そして張苑は口元をきつく結んだままその場から動かなかった。
「……盗賊共が元気なことは知っていたが、まさかこれ程とはな」
 九竜の呟きに、初めて幸村が動く。
 彼は焼けた土を踏みしめながら、かつて村があったであろう場所へ歩いて行った。その後を慌てた様に張苑が追いかけていった。
「おい!」
 幸村の並々ならぬ気配を感じ取ったのか、少し離れたところで様子を見ていた火雅の狼の耳が小さく垂れ下がっている。九竜も呟きを発したきりそれ以上口を開かない。
 ただ幸村と張苑だけが焼け落ちた村の中を進んでいく。
 鼻をつく死臭がしようが、目を突き刺す灰の臭いがしようが、幸村が歩みを止めることはなかった。
「おいったら!!」
 かつては村の中心だったのだろうか。一際大きな広場には積み重なるようにして黒く焼け焦げた死体が転がっていた。生きたまま焼かれたのかそれぞれが苦悶の表情を浮かべて炭化している。
 肉の焼ける臭いに吐き気を覚えた張苑が大きく咽せ込んだ。
 幸村はそれを非難することも、気を遣うこともせず、大地に転がった一つの死体へ歩み寄った。
「…………」
 彼は無言のまま、小さな子供だったであろう死体をかき抱く。
 殆ど炭と灰になっている死体は原型をとどめることが出来ず、ぼろぼろと崩れていく。だが幸村はそれを手放さない。
「鬼の仕業だ」
 短い言葉だったが、そこに込められた感情のあまりの大きさに張苑は圧倒された。昨晩見てしまった幸村の深淵が自らを飲み込んでいくような錯覚を覚える。
 幸村は最早抱くことも出来なくなった死体を地に寝かせ、こう天に向かって吐き捨てた。
「殺してやる」

 本来ならば西日が世界を照らす頃、九竜達が味わったのは打ち付ける雨だった。
 彼らは簡易な蓑に身を包んで村の中央に穴を掘っていた。殺された村人達への墓穴である。一座で力仕事が出来る者はひたすら地面を木板で掘り返し、そういった体力の無い者たちはかろうじて残された建物の中で飯の準備をしていた。
 張苑は細腕のためか飯の準備の方へ回され、ここに来てから口を開かなくなった幸村は霞と渚を抱いたまま虚空を睨んでいた。
 飯を炊いている団員のいくらかはそんな幸村へ文句を垂れているが、昨日幸村と九竜の語りを盗み聞いた張苑は何も言わなかった。
 目に一杯の涙を讃えた火雅は相変わらず耳としっぽを小さく畳んだまま芋を湯がいていた。
「どうしてこんな酷いことが許されるの」
 ざるに芋を揚げ、水気を切っていた火雅がそう零した。
 人一倍感受性の強い銀狼族の少女は己が内包する感情の限界を知った。
「みんな必死に生きていただろうに、なんで殺されちゃうの?」
 その疑問に答えられる者はいなかった。張苑でさえ気まずそうに目線を逸らしエンドウ豆のさやを剥いていた。
 気まずい沈黙が簡易調理場を支配し、誰もが無言になる。
 外から穴を掘る団員の喧騒と雨が地を穿つ音が聞こえてきた。一度耳に届いたそれらの音は幸村が火雅の疑問に答えるまで消えることはなかった。
「鬼だからだよ」
 ぴくり、と張苑の手が止まる。
 虚空を睨んでいた幸村の視線が火雅へ向けられた。
「千里を支配し、万人を殺す。鬼は人を好んで喰らい、人を好んで殺す。そこに理由なんて存在しない。まるで人が野兎や狐を遊び半分で殺すように、鬼は人を殺す。だからこの村の人々が何かをしたわけではない。ただ運がなかった。それだけだ」
 言葉を失ったのは火雅だ。彼女は数瞬置いて幸村を強く睨み付けるとこう叫んだ。
「だからってそんな言い方はあんまりです! そんなんじゃこの村の人々がかわいそうです!」
 それは調理場にいた殆どの人間の代弁だった。この場にいる一座の誰もが村人に同情し、鬼に対する憎しみを抱いている。
 その膨れあがった負の感情の行き場は何処にもない。
 だから火雅はそのはけ口として幸村に怒鳴った。己でもこの行為が正しくはないと知りながら。
「あなたはこの国の人じゃないからそんなことが言えるんです! 正直見損ないました! もっといい人だと思っていたのに! どうせ鬼を倒すことも出来ないくせに!」
 本心で言っているわけではないことぐらい火雅も張苑も理解していた。
 しかしその言葉を幸村に向けてはならないことも二人はわかっていた。
 ――――特に張苑は。
「…………」
 幸村は何も言い返さなかった。ただ彼は徐に立ち上がると、腰に霞と渚を吊し直して調理場から出て行った。
 外は大粒の雨が降っているというのに蓑も被らずいつもの出で立ちのままで。
 張苑は幸村に掛けるべき言葉も、火雅を諫めるべき言葉も見つからずにいた。
 何故なら、どちらかが間違っているわけではないのだから。

 雨脚がますます強くなってきたとき、幸村は瓦礫の影で膝を抱えていた。
 こうしていると、自分が故郷を旅立つ直前の日々のことを思い出すことができた。
 既に九竜には語っているが、彼にはその昔、一生を添い遂げるべき伴侶がいた。まだまだ愛というものを理解するには早すぎる年齢だったが、それでも大切にすべき人間だったことは間違いない。
 夫婦となった幼馴染みの顔は今でもはっきりと思い浮かべることが出来る。
 三つしか変わらないのにとても大人びていた彼女は幸村の憧れだった。
 いつも笑顔を幸村に向け、姉のように、妻のように、守護者のように彼女は振る舞っていた。
 それが彼女に無理をさせている証拠ということぐらい、幼い幸村でも理解していたが彼は幼馴染みに甘え続けた。
 やがてその天罰が下るとは知らずに。

 あれほど降っていた雨はいつの間にか止んでいた。
 雲の切れ目から見える満月は地上を淡い光で照らしている。篝火と数人の見張りを残して一座の人間はみな眠りについていた。
 特に墓穴を休みなく掘り続けた団員達はそれこそ死ぬように眠っている。
 墓穴にはできる限りの村人の死体が埋められ、何処から持ってきたのか一抱えほどある石が墓石のかわりを果たしていた。
 幸村は誰も起こさぬように、静かに墓石へ向かって手を合わせていた。
 そんな幸村の背後に近づく人物がいた。髪をしっかりと結い、鋲が入った腰帯をしっかりと体に巻き付けた張苑である。
「こんな夜遅くにどういうつもりだ」
 形だけの問いに意味はない。だから張苑も答えを期待するようなことはなかった。むしろこのまま幸村が自分を無視してくれれば有り難いとさえ思っていた。
 だが幸村はそんな張苑の期待を裏切って答える。
「鬼を殺しに行く。ここからはもう一人で十分だ。二日間、飯を食わせてくれて本当に助かった。感謝する」
 深く頭を下げる幸村を見て、自身の眉尻が下がるのを張苑は感じた。
「馬鹿をいうな。いくらお前でも無謀すぎる」
「ならばお前達はこのまま旅を続けるのか? 九竜はあと三日ほどで鬼の頭領の支配地域に入ると言っていた。つまりそれは明日だ。それにこの村がこうして襲われた以上、もう猶予はない。俺が鬼を殺さないとお前達は皆死ぬぞ」
 それが幸村なりの恩返しであることは張苑は気がついている。だが何故か諾、と認めることが出来ない自分がいた。
「駄目だ。それではお前が死ぬ。お前を助けた意味がなくなる」
 言って驚いたのは張苑だった。
 あれほど毛嫌いしていた筈なのに、こうしてまともな会話が幸村と続いていた。
 理由も知れぬ不思議な感覚に張苑はムズ痒さを感じながら、幸村の言葉を待った。

 

 


 
 
 

 
 

 
 

 
 


 
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未だかつてないほどに筆が進む。

何コレ、エセ武侠小説、書くの滅茶苦茶楽しい。
以下は第一章の序盤みたいな物。取りあえず第一章が書き終わったらなろうに投稿しようかしら。
ちなみに本編は三章か四章構成で、一章辺りラノベ一冊分。(ただしプロットは一章分しか作ってない)



 腹は減っては戦が出来ぬ、と誰かが言った。
 だが幸村は思う。腹が減れば戦どころか現世を生きることすらまかならないと。
(何か、食べないと)
 灰色の渓谷から見上げた空は突き抜けるように青く、大の字に倒れ伏す幸村を照らしている。
 鳶が鳴き、淡いちぎれ雲が彩る空だ。
 思い返せば最後に飯を喰らったのはいつのことだったか。親切な農民の畑仕事を二晩ほど手伝って受け取った握り飯はとうの昔に尽きている。
 それからは森に生えている野草と、時折見つける野兎で飢えを凌いできた。本当に何もないときは木の根を掘り返して甲虫の幼虫も食べてみた。
 ……蜜柑のようなぷっつりとした食感からは考えられないような苦さの所為で、全て吐き戻したが。
 ともかく、幸村は飢えていた。
 飯さえくれれば、殺しだろうと盗みだろうと、頼まれたならばやり遂げる気概もある。ただし頼んでくる相手がいない。
 そこまでする覚悟があるのならば、旅人でも襲って身包みを剥げば良いのだが、これも相手がいないし、何より幸村の倫理観が嫌がっていた。
 己でも随分と屈折した道理だと知っていたが、そんなことは今どうでもよかった。
 ただ何か食べたい。
 天上を優雅に飛び回る鳶を瞳の動きだけで追いながら、幸村は果てのない思考を彷徨っていた。
 
 そんな幸村に転機が訪れたのは、鳶がとっくに飛び去りちぎれ雲に朱が混じり始めた夕暮れ時だった。
 地面に相変わらず倒れ伏していた彼はかすかな振動を全身で感じていた。地震でも地滑りでもましてや山の爆発でもない、常人ならば決して気がつかぬであろう小さな揺れ。
 幸村はそれを複数人の足音だと判断した。
 真っ直ぐこちらに歩んでくる足音から十数人ほどの一団だ。さらに何か大きな荷車を馬に引かせていた。
 夜盗のや山賊の類いならば面倒なことになると幸村は眉をしかめたが、女子供と思われる軽い足音が二つほど混じっているためその考えは霧散した。
 もしも商人や旅の一座ならば飯を恵んで貰おうと画策したのである。
 果たしてその読みは正しかった。
「おや、これはこれは年端もいかぬ童が倒れ込んでいるではないか。このような道の往来で寝ていては馬に踏まれて潰れてしまうぞ」
 一団の先頭を歩いていたのは禿げたオヤジだった。
 人懐っこい顔立ちに細身の体。藍色の着流しを身につけた風貌は如何にも遊び人を思わせる者だったが、その身から漂う気巧が彼の正体をぼかしている。
 ついでにあまり似合っていない顎髭が胡散臭かった。
 幸村は大の字に倒れ伏したままオヤジに語り掛ける。
「腹が減って動けない。何でも良いから少しだけ飯を分けてくれないか」
 単刀直入に、回りくどいことを嫌う幸村らしい言葉だった。一見無礼にも取られかねないその願いは意外にもオヤジに受けた。
 オヤジは目を弧の形に細めて、歯を見せて笑う。
「えーえ。飯くらいなら食べさせてやるぞ。童よ。だがここでのんびりするには、儂らの行軍に余裕がない。あと半刻ほど歩いたら野営にはいるで、それまでついてこい」
 差し伸べられた手は柳の木のように細く頼りなかったが、握り替えした幸村の手を掴むその力は何処か力強かった。

 華国は蝶家が治める第十七代目の王朝であるとオヤジは幸村に語った。
 ちなみにオヤジは九竜と名乗ったが、幸村にとってはそんなことどうでもよく、オヤジはオヤジのままだった。
 何でも彼らは一芸に秀でた者の集まりで、旅の一座を形成しているらしかった。
 此度、華国の皇帝に新たな蝶家の人間がついたことから都の武京で祭りが開かれるという。その演目に参加するべく彼らは北の長城砦からはるばるここまでやってきたのだそうだ。
 その途中の街道で大の字に寝ている幸村を見つけたらしい。
 彼ら一座には鼻に長ける銀狼族の娘がいて、彼女が幸村の匂いを察知したそうだ。
 当初は夜盗かもしれないと彼らは揉めたが、相手が一人であること。幸村から血の臭いがしなかったことで行き倒れだと判断したという。
 幸村はその話を聞いて、内心まだ顔すら合わせていない銀狼族の娘に感謝した。
「ところでお前さんは何処へ向かうつもりだったのだ?」
 オヤジの隣を歩く、つまりは一座の先頭を歩いていた幸村は「んー」と首を傾げた。
 それはこのような理由からだった。
「いや、何処かしこと場所を決めていたわけではない。ただ人を探していて、その道すがらだった。だが手がかりも何もないから当てもなく華国を彷徨っていた」
 まあ華国にいることだけはわかっているのだがな、と幸村は付け加える。
 それを見てオヤジは笑った。
 なんと適当で、度胸のある奴だ、と。
「だがお前さん、この国は街道を少し外れれば当たり前のように夜盗が蠢いている。その中での一人旅、危険ではないのか」
 口調で笑っていても、目が笑っていないことに幸村は気がつく。
 当たり前だ。
 何処の国でも旅の一座というものは盗賊関連の輩にカモにされやすい集団である。そのためオヤジが盗賊達の危険性を知らないわけがない。
 一人納得して見せた幸村はオヤジとは違い口調も瞳も笑った。
「大丈夫だ。俺は強い。盗賊如きに遅れを取ることなどありえない」
 そう断言する幸村にオヤジは目を見開き、しかしすぐさま感心したように顎髭を撫でる。
「おもしろい。ならその盗賊の頭が鬼だったらお前さんはどうするのだ」
 
(ふ、む……)
 自身の言葉に、一瞬だけ幸村の表情が強ばったのを見て九竜はもう一度顎髭を撫でた。
(恐れではない、どちらかというと興奮か)
 一座の頭目として様々な人間を見てきた彼は幸村の変化をそう判断した。そして幸村が探す人というのが、鬼に関連した人物であるということも。
 彼の思考は続く。
(しかし何故この童は鬼に反応する?)
 元来鬼とは寝物語や絵巻の中で出てくる人が編み出した幻想の賜だ。
 町中に出れば十人中十人がそう断言する。
 ならば幸村も九竜の台詞を笑い飛ばさねば筋が通らない。だが彼は鬼という単語に明確に反応した。
 これではまるで彼自身が鬼を信じているかのような……。
 いや、鬼を知っているかのような、
「師父、師父」
 思考を強制的に中断させたのは一座の団員の声だった。正確に言えば張苑という団員の声だった。少しだけ伸びた後ろ髪を緋色の髪紐で縛った張苑は九竜の隣に着くと囁くように言葉を繋いだ。
「目的としていた渓谷の出口に到着しました。野営の準備は如何ほどに?」
 年頃の少年が着こなす臙脂色の着物に身を包んだ張苑は直ぐ足下を指さしていた。
 成る程、道中拾った幸村との話に夢中で忘れていたらしい。
「あー、じゃあ今日は各自野営すること。飯はたんまり炊いていい。さっき拾った童にも喰わしてやってくれ。ここで出会ったのも何かの縁だろうよ。儂らのような一座ものは縁を大切にせねば」
「了解しました」 
 すっ、と身軽い身のこなしで張苑は一座の中に戻っていった。
 炊事雑務が得意な張苑のことであるから、言われた通り飯を炊きに行ったのだろう。
 九竜と張苑のそんなやりとりを黙ってみていた幸村が口を開く。
「今の少年、強いな。隙がない」
「ほう、わかるか」
「もちろん。何より少し気を抜いていたとはいえ、俺が接近に気がつかなかった」
 ぽりぽりと頭を掻く幸村は何処か面白くなさそうであった。どうやら彼は己の強さに大層な自信があるらしい。そこで九竜は取りあえず幸村をその場に座らせ、己もその対面に腰掛けた。
 そして夕闇の中、少し遠くで揺れる炊事の炎を頼りに語りを開く。

 曰くこれから進む街道には鬼が頭領をつとめる盗賊が待ち受けているらしい。
 九竜――――オヤジの話を要約すればそういうことだった。
 鬼とは千里を支配し、万人を殺す化生の王のことである。
 到底人間では太刀打ちできない胆力と気力を持ち、好んで人を喰らう。また欲望にも忠実で腹が減れば肉を囓り、喉が渇けば酒を煽る。そして色欲を感じれば見境なく異性を犯す。
 およそ人が持ちうる業を煮詰めて形取った気性を持つのが鬼なのだ。
 古来より鬼退治は英雄の偉業とされ、鬼退治のために国を傾けてしまった王も少なくないと聞く。
 オヤジはそんな鬼がよりにもよって盗賊共を纏めていると、少々の脅しを込めて幸村に語った。
 そしてもしも飯のことを感謝するのならば、幸村が修める武を持って鬼を排除してくれないか、と。
 幸村の答えは単純明快だ。
「構わない。飯を頂いた恩、深く感謝している。ならば鬼退治など文字通り朝飯前に済ませてしまおう」


 少しの沈黙の後、それを破ったのはオヤジこと九竜だった。
「……まあそう焦らずとも今日は休め。どのみち鬼の頭領はここから三日は南に向かったところにおるでな、明日の朝飯前には何も起こらんよ。ただ、朝飯後には少しだけ体を動かして貰おうか」
「? どういうことだ」
 空になった飯の椀を地面に置き、手には桃酒の入った杯を傾けているオヤジが続ける。
「なに、お前さんの武がどれほどのものか儂らは知らんでな。ウチの猛者と手合わせをして貰う。お前さんにとっては失礼な話かもしれないが、もしもお前さんの武がウチの者に劣るのであれば到底鬼退治など頼み込めん。一晩とはいえ、同じ釜の飯を食った童がわざわざ無駄死にを晒すのはこちらとしても目覚めが悪い」
 随分と失礼な物言いだったがそれに幸村が腹を立てることはなかった。
 何故ならオヤジの言い分に道理が通っているからである。
 さらに幸村には一つの考えがあった。
「ならば先ほどの少年と手合わせがしたい。彼は名を何というのか」
 幸村は「強い」と称した少年のことを忘れていなかった。いや、もしかしたら飯を食っている最中でも少年の事ばかりを考えていたのかもしれない。
 九竜はいつかみたいに、目元を弧の字に細めて笑った。
「奇遇だな。儂もあ奴とお前さんを手合わせさせようと思っていた。奴の名は張苑。チョウエンというのだよ」



 オーガ ~華国双争、鬼気迷舞
  第一章 緋眼、相対
 


 張苑は面白くないと、思った。
 顔には出さなかったが、どこぞの馬の骨とも知れぬ少年に飯を分けてやるのも決して乗り気ではなかったし、野営地まで連れてくることも本当は反対だった。
 どうせなら米を一袋投げつけて見捨ててくれば良かったのだ。
 そんな少年は暢気に毛布にくるまって眠った後、昨晩喰らった以上の飯を食って張苑の前に立った。
「張苑、といったか? 俺は幸村。お前達が東夷と呼ぶ国から来た武士だ。手合わせ願いたい」
 朝っぱらから何を言っているのかと、横っ面を叩いてやりたかった。だが助けを求めようとした師父である九竜は人懐っこい笑みでにやにやとするばかりで、他の団員も咎める者はいなかった。
 どうやら九竜が何かいらんことを目の前の少年――――幸村に吹き込んだらしい。
 張苑は大きく息を一つ吸って、ため息として吐き出した。
 そして幸村を鋭く睨み付けるとこう言い放つ。
「いいだろう。ついてこい」
 己の言葉に喜色を隠そうともしなかった幸村に少しだけ腹が立った。

 野営地から少し離れた広場で張苑と幸村は向かい合う。周囲には暇を持てあました団員達がここぞとばかりに押しかけていた。
 張苑は軽く四肢の健を伸ばしながら幸村の様子を注意深く観察する。
 雑に切り刻まれた頭髪は黒一色で、この国でも珍しくはない。ただ顔立ちは少年といいながら何処か女性らしさを伴った危うい顔立ちをしていた。昨日は暗くて気がつかなかったものの、こうして朝日の陽光の中で光り輝く白い肌は玉を思わせるものだった。
 またか細い体の線が余計に女らしく見えて、もしかしたら性別を誤っているのではないかと張苑を錯覚させる。
 服装は髪と合わせているのか、少し色あせた麻で出来た黒い着物だった。だが華国で作られているものとは少し違う風体で、彼が言う東夷の出身という台詞に信憑性を賦課している。
 張苑の視線はそこまで見定めてふと腰元に吊された二本の得物で止まった。
 華国では到底見ない、細く、反り返った鞘に収められた剣だった。
 朱色の紐で吊された剣の握り手は同じ色の布が菱形に編まれて巻き付けられており、剣と握り手の境には何かが彫り込まれた円盤が備え付けられていた。どうやら幸村の国の剣に使われる鍔のようだ。
 張苑の視線に気がついたのか、幸村は慣れた手つきで二本の剣を両手で抜いた。
 周囲で見守っていた団員達からは「おおっ」と感嘆の声が上がる。
「これはカタナといってだな、俺の国に伝わる殺傷剣だ。銘は長い方が渚、短い方が霞という。その名の通り渚と霞を斬るために打たれた剣だ」
 刀身に刻まれた美しい波紋に張苑は視線を奪われていた。
 幸村は銘の由来を渚と霞を斬るため、と説明していたが張苑はその淡い文様自体がそれらに見えた。
 頭を短く振り、思わず脳裏に踊った雑念を振り払う。
「お前が得物を晒したのならば、ボクも得物を披露しよう。お前の得物のように美しいわけではないが、頼りになる物だ」
 しゃらんと、張苑は腰元に巻いていた布をほどいた。すると布の内側にはびっしりと鋲が縫い付けられていた。
 木材と木材を縫い止める金属の鋲である。
 手の平ほどの長さのそれは朝日を受けて、鈍く光っていた。
「この通りこれらの鋲を投げてボクは戦う。だがただの鋲と侮るなかれ。油断をすれば死ぬぞ」
 布を再び腰元に巻き付けるのと同時、幸村に対して張苑は殺気を飛ばした。だが鈍いのか図太いのかあるいは両方か、幸村は飄々と受け流している。
 幸村に対するイライラが募りだしたとき、ふと様子を見守っていた九竜が声を高く口を開いた。
「それでは行き倒れの童、幸村と我ら一座の小僧張苑の手合わせを始める。勝敗は儂が判断。反則もしくは中止も儂が判断する。では両者尋常に――――」

 二人の頭上で鳶が鳴いた。

「勝負!!」


 

オーガ ~華国双争、鬼姫迷舞~

仮ですけど、先に言っていたファンタジーの題名です。要素としては中華ファンタジー、エセ武侠小説。テーマは守りたかった志。コンセプトは時代小説VS武侠小説。つまり侍バーサス中華武術。キーワードはタイトルの通り「鬼(オーガ)」
最初はよくある西洋ファンタジーで考えていたのですけれど、西洋的ネーミングセンスがゼロだったので断念。
和風は世界観が余り広くないので中華にしました。肉まん美味しいアルネ。

以下は実験的な序章。

 少女につけた名の由来を語る母の姿は余りにも惨めで、彼女はそれが大嫌いだった。
 歳はまだ二十を半ばほど過ぎただけなのに、度重なる心労と、その見に宿した負の感情の所為で、母はそれよか十歳ほど老けて見えた。
 少女が記憶する原風景は、竈の篝火に照らされた室内から始まる。ぱちぱちと炭が爆ぜる中、決して大きくはない声量で、されど余りにも力強い口調で母は語った。
 
 いいかい、私がまだお前の御父様と華国の武京で暮らしていたときの話だ。
 つまりお前が生まれる前。お前をこの腹に宿していた頃。
 私は武京で官吏をしていた御父様と夫婦となった。御父様は華国を治める蝶家の一族の出で、学も才もある素晴らしいお方だった。
 何よりその身が美しい。
 私も豪商の生まれで身なりには自信を持っていた。けれどあの人だけには適わなかった。
 あの人は玉の肌を持っていた。白く、細やかで張りのある肌だった。
 顔立ちも素晴らしく整っていて、一つの彫刻のように堀が深い。中でもあの緋色の瞳には心奪われた。
 宮廷の催しで、一度顔合わせしたことがある。
 あの人は幸いにもそれだけで私を愛してくださった。これがどれほどの幸せかお前にはわかるまい。
 とにもかくにも、あの人と契りを交わした私は幸せだった。女の悦びを噛みしめ、人としての喜びを感じていた。
 しかし、しかしだ。
 まるで夢物語のような日々は、本当に夢物語のように終わってしまった。
 それこそ眠りから覚めて、夢が泡沫と消えるように。
 ……あの人は蝶家の政の争いに敗れた。
 私にとってはあの人が政争に敗れようが、身分を堕とされようが共に生きられるならばそれでよかった。
 だが宮中に蔓延る有象無象がそれを許さない。
 有象無象の卑奴らはあの人の復讐を恐れた。曲がりなりにも国を治める蝶家の人間であるあの人に恐怖していたのだ。
 あれはお前を腹に宿して七の月が経った夏の日だ。
 夏の日だというのに、その日は夜風がとても冷たく身に染みた。体中に悪寒が蔓延り震えが止まらなかった。
 宮中に出向いたあの人の帰りをひたすら毛布の中で待ちわびていたよ。
 けれどあの人はいつまで経っても帰ってこなかった。
 いや、帰ってくるには帰ってきたさ。竜の刻が過ぎ、月もだいぶんと傾いていた頃合いだ。
 そう、還ってきたのさ。
 従者に運ばれてきたあの人は最早もの言わぬ骸だった。城壁から落ちたからか、あの人の美しい相貌は醜く潰れていた。 
 四肢もおかしくねじ曲がり、飛び出した緋色の瞳を確認するまであの人だとはわからなかった。
 ……あの人の死を見たとき、私は全てを悟った。
 あの人は復讐を恐れた他の官吏達に謀殺された。あの人が持っていた素晴らしいものを全て奪い取る形で。
 もちろん全ての中には私もお前も含まれていた。
 だから荷もそこそこに私はたった一人の従者をつれて屋敷を抜け出した。
 涙を呑み、この憎しみを忘れるまいと登りかけた日に向かって誓いながら。
 上手く逃げ出した私は追っ手に追われることもなく、無事この地へ逃げ果せた。金は持っていたし、従者は武に優れていたから定住することに困ることもなかった。
 そしてお前が生まれた。
 あの人が持っていた緋色の瞳を受け継いで生まれた。
 いいか、それはお前があの人の血を分けた証拠だ。お前があの人の子であるという何よりの証拠だ。
 だから私はお前に名を授けた。蝶家に怨念という意味を込めて。
 あの人の無念をお前が晴らせば、あの人は報われる。お前が蝶家の人間に復讐すれば何よりの供養になるのだ。
 
 何度も何度も聞かされた言葉は呪いのように少女の心に刻みつけられていた。
 恨み辛みを吐き捨てる母の顔はさながら鬼のようで、少女は不気味だと思った。
 しかし母を鬼と恐れることはなかった。何故なら母からいつも決まって聞かされる文言がこの後に続くからである。

 蝶家は、いや、あの人は鬼から袂を分かった一族の末裔だ。即ちお前の中に流れるあの人の血は鬼の血でもある。
 鬼は千里を支配し、万民を殺す。
 お前はその力をあの人を殺した蝶家に奮うのだ。鬼の力で蝶家を根絶やしにするのだ。
 これが母の、そう、お前の御父様の願いなのだ。
 ――――よ、鬼になれ。

 自ら鬼だと聞かされた少女は果たして何を思うのか。
 それは少女自身全く理解していなかった。
 それでもその事実が十年後、運命となって少女に牙を剥いたのは決して無関係な話ではない。
 
 少女は復讐を背負って生きる。
 彼女は微塵たりとも母を愛してはいなかったが、腹を痛めて生んでくれた親を無碍に扱おうとは思わなかった。
 例え生んで欲しいと頼んだ訳ではなくとも、一度生まれたからには避けられぬ道。
 ならばせめて可愛そうな母のため、父のため、義理くらいは果たそう。
 そう彼女は原風景の中の、篝火の前で決意していた。
 

ブリジット更新。

滅茶苦茶難産でした。遅くなってごめんなさい。構想は割と早い段階で終わっていたんだけど、文字に起こすのが難しかった。うーん、頭の中ではいろいろと場面があるのに中々書けない……

なにはともわれノンビリぼちぼちやっていこうと思います。

あとなろうでちょっと連載しようかなーとか思ったり思わなかったり。
Arcadiaさんでやきうをやらして頂いている以上、おなじオリジナルを投稿するのはどうかなーとか思って。

タイトルも主人公の名前も決まっていないけれど、割とシリアス路線で行こうと思ってます。
メインヒロインがラスボスで、彼女が世界を滅ぼそうとしているお話。
ジャンルはSFファンタジーかな。テーマは「初心忘るべからず」
もっと簡単にいえば、「守りたかった志」
ヒロインが世界を滅ぼそうとするまでに抱いていた思いを、主人公が思い出させるというのが話の軸です。
あとは少しいろいろな仕掛けを埋め込んだり、遊んでみたり。

ま、これからも頑張らさせて頂きます。

やばい

いろいろと用事が立て込んで、創作関係が何も進んでいない。絵も描きたいし小説も描きたい。でもそれ以上に書かないと行けない書類やレポートが山積みになっている。
やばい、といえばArcadiaさまで連載している「やきう~」の需要が果たしてあるのかどうか迷っている。
どうやら読者の方は手っ取り早い最強系を望んでいるらしい。確かにタイトルに最強と銘打っている以上、それは正しいのかもしれない。けれど、最初からレベルマックスでも人間ならば挫折することは多々あると考えたからああいった展開にした。挫折せずに順風満帆な野球人生を送った主人公に果たして魅力があるのかどうか。
少なくとも私は「ない」と感じたから主人公を挫折させた。
壁にぶつけた。
けれど感想欄では少なくない厳しい言葉を頂いた。もちろん物書きの端くれである以上、こういった言葉は有り難い。有り難いが、それでもモチベーションというか、自分が構想している展開をそのまま書き連ねていってよいのかわからなくなる。
幸いブリジットは俗に言う「鬱」の属性を持ったSSとして受け入れられることが出来た。
しかしやきうはそうではない。読者の方が望んでいるのは爽やかな青春無双SSなのだ。
私にそれがストレートに書けるか、と問われれば即答は出来ない。たぶん、おそらくといった曖昧な表現を駆使して、「頑張れば」と答えるのが精一杯だ。
何故なら私はハッピーエンドを書くのが苦手だからである。少なくともエンディングに向かう過程の全てをハッピーに書くことは出来ない。登場人物の誰かは不幸に見舞われる。そしてそれに影響を受けた別の人物が物語を進めていく。やきうもそういった展開を構想していた。
この構想通りに物語を薦めていけば、恐らく読者の方からはさらに厳しい言葉を頂くことになるだろう。
私は作者の独りよがりでそのような物語を垂れ流していいのか非常に迷っている。
もちろんアマチュアである以上、それでもいいのかもしれない。だがやはり、読者の方に楽しく、気持ちよく呼んでもらえる物語を書きたい。
やきうで主人公が壁にぶつかったように、私も今大きな壁にぶつかっている。
創作を誰かに見てもらう上では避けられない大きな壁を越えるため、悪あがきというか真面目に考えているのが最近の現状。


というわけでいつもより二割くらい真面目度が増した記事でした。ブリジットはあとほんの少し待ってください。
リメイクの準備と平行しているので調整が難航しているのです。やきうは上に書いたとおり結論がでるまで凍結。
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